協会概要

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相続手続カウンセラー協会とは?

相続業界の教育機関として設立、活動している組織です。

協会の理念は「相続で困っている人を世の中から無くすこと」です。

相続の手続きを適切に支援することによって、争う相続や正確な情報を知らないがために損をする人を、ひとりでも少なくするために活動しています。

約22年間の実務の中で培ってきた、知識や経験を社会還元し、相続を通じて家族の絆が一層深まる社会を目指す取り組みを行っています。

 

事業について

当法人は、次の事業を行う。

1.相続手続カウンセラー養成講座と認定試験の実施及び資格の付与
2.上級(シニア)相続手続カウンセラー養成講座と認定試験の実施及び資格の付与
3.マスター相続手続カウンセラー養成講座と認定試験の実施及び資格の付与
4.相続手続カウンセラーを育成するための研究会の企画及び実施
5.相続に関する講座、セミナー、講演会、イベント、人材育成事業の実施
6.相続に関する研究会の企画及び実施と研究、調査、資料収集、情報提供
7.相続に関する各種機関との交流及び情報交換
8.会報の発行
9.その他前各号に掲げるもののほか、本会の目的を達成するために必要な事業

 

相続手続カウンセラー協会事務局

〒651-0085
兵庫県神戸市中央区八幡通4-2-18 昭和住宅・福本ビル7F
TEL:078-251-7668
FAX:078-251-2065

代表理事:米田貴虎
理事:半田貢、黒沢怜央、吉川正明、青木克博、新喜章弘、屋宜明彦、栗本大介

 

代表理事 米田貴虎 プロフィール

一般社団法人 相続手続カウンセラー協会 代表理事
神戸学院大学客員教授
相続手続支援センター創設者
株式会社ブレーントラスト代表取締役
上級相続手続カウンセラー

「男子は生涯一事をなせば足る!」(司馬遼太郎『坂の上の雲』における秋山好古の言葉)が座右の銘。

相続業界を進化させるために「①相続手続きサービスを広める、②業界のレベルを上げる、③相談方法を革新する、④民法を現状に合ったものに変える」想いで、相続に関する仕事だけを行っています。

京都府出身。神戸市在住。神戸学院大学法学部卒業後、専門家事務所に勤務。その後、阪神淡路大震災でのボランティア活動と祖母の死が原体験となり、平成13年、友人の父の死をきっかけに相続手続支援センターを設立しました。

相続手続き・遺産整理業務を日本で初めて本格的に着手。全国の大手会計事務所を中心に、北は北海道、南は九州まで42ヵ所に拠点を設置しました。グループで7万9565件(令和4年5月1日現在)の相続に携わり、自身も5400人以上の依頼者に寄り添い家族の絆を深めるための相続をサポートしてきました。

平成30年に一般社団法人相続手続カウンセラー協会を設立し、「相続で困っている人を世の中から無くす」ことを目標に活動。

年間100万件の相続相談にのる、1万人のスペシャリストを養成中です。相続の実務を学べるオンライン動画も40本以上作成。自身のレベルアップやスタッフの教育に活用できるコンテンツを充実させています。

これまでの経験を基に「たった1回の講演で、参加者の行動を変化させるセミナー講師」としても活躍。年間平均50回の講演を行い、近年ではオンライン講座やズームセミナーなども数多く行っています。

「生前に準備しておくことが重要」だと理解していただくために、相続のウラもオモテも公開。重たいテーマを、あえて楽しく笑いが起こる講演にすることで、主催者側からもご好評をいただいております。

 

主な講演・研修の実施履歴

対応可能時間:30分、60分、90分、120分、半日、1日間、2日間
◆社団法人生命保険ファイナンシャルアドバイザー協会(JAIFA)兵庫県協会分科会にて講演
◆社団法人神戸新聞文化センター(KCC)公開講座:平成22年秋より継続して講師 
◆京都府中小企業団体中央会:青年部講習会にて講演 
◆公益財団法人神戸いきいき勤労財団:熟年生活講座にて連続講演
◆大手冠婚葬祭互助会(三重・富山・兵庫・新潟・山形・他)にて講演  
◆日本生命保険相互会社:ニッセイライフプラザ本店にて講演
◆日本FP協会兵庫支部:継続教育研修
◆農林年金受給者連盟:鹿児島農協連支部研修会にて基調講演
◆神戸女子大学:非常勤講師としても公開講座
◆社会福祉協議会:市民ふくし相談所運営委員会にて講演
◆JA福岡県東部主催:資産管理部会研修会にて講演
◆船井総合研究所経営研究会にて講演
◆明石市保健福祉施設協会
◆播磨町ことぶき大学OB学友会
◆神戸学院大学:客員教授
◆香寺丸山大学園
◆LEC東京リーガルマインド大学
◆LECビジネススクール
◆オリックス生命保険
◆東洋証券株式会社
◆第一生命保険株式会社
◆社団法人コミュニティーネットワーク協会
◆医療社団法人菫会
◆ライオンズクラブ例会
◆プルデンシャル生命保険
◆日新信用金庫本店研修会
◆全国設備業IT推進会:フォーラム2010
ほか多数

主な講演テーマは:
①家族に迷惑をかけないための相続準備!21の秘訣
②誰も教えてくれない!相続税と遺言書の本当に必要な知恵
③後悔しない!迷惑かけない!耳寄りな終活情報~エンディングノートのススメ
④これが実態!相続の現場と手続のやり方
⑤経営者が知っておくべき3つの相続対策
⑥人前で話す技術全部公開!講師のための教科書
⑦社会人になってすぐ知っておきたい!職場で求められるコミュニケーション力

 

マスコミ掲載履歴および各種メディアへの寄稿履歴


◆ABCテレビ「キャスト」
◆テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」
◆NHK「クローズアップ現代」
◆関西テレビ「スーパーニュースアンカー」
◆サンテレビ「ニュース」
◆週刊ダイヤモンド(ダイヤモンド社)「遺言書では盛り込めない情報を“人生の棚卸し”で円満相続」
◆週刊東洋経済(東洋経済新報社)「乱立する新興検定の舞台裏」
◆日本経済新聞 「らいふプラス 親の意思家族で尊重」
◆読売新聞 「最期に向け希望・思いを 敬老の日にエンディングノート」
◆神戸新聞「相続支援業全国へ拡大」「シニアフェア」
◆朝日新聞「第二の人生に備え」
◆神戸新聞「私らしさ求め“最期”」演出」 
◆毎日新聞「エンディングノート」
◆産経新聞「一生振り返り記すエンディングノート」
◆KBS京都ラジオ情報番組「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」
◆企業実務「定年力検定」
◆西日本放送「ニュースナウ」
◆東海テレビ「P-CANテレビ」
◆奥様手帳
◆朝日グリーンファミリー
◆サンデークラブ
◆週刊ポスト
◆女性セブン
◆週刊アサヒ芸能
◆ノジュール
◆定年時代
◆読売ウィークリー 
他多数

相続の仕事をはじめたきっかけ

「ほんまにありがとう!」と言って、涙ながらに言ってもらった言葉は、今でも忘れることが出来ません。

時は、平成7年1月。

阪神淡路大震災の数日後、ボランティアで水が入ったポリタンク2つを両手に持ってアパートの4階まで上がり、おばあちゃんに渡してあげた時に、言ってもらった一言です。

震災の時は、大自然の前での人間の無力さと、人間の運命のはかなさを目の当たりにして、体の震えが止まりませんでしたが、数日後には、余震にも体が慣れていきました。

当時、私の住んでいた下宿は全壊したものの、体は無傷で、時間と体力を持て余していました。そんな時、何気ない気持ちで友人と行った、ボランティアでの体験でした。

その経験があったからか、私の中で、将来就職するなら「何か人のためになる仕事がしたい。」「一生懸命に仕事をするなら、人と直接に触れ合い、困っている方の助けになる仕事がしたい。」「“ありがとう”って言ってもらえる仕事をしよう!」と強く心に決めた、大学3回生の冬でした。

現在行っている、相続手続支援センターの仕事というのは、文字通り、相続の手続きを支援するというものですが、実は相続の手続きは、相続登記、相続税申告を代表とする手続きの他に、預金、株、投資信託、保険、携帯電話、クレジットカード、健康保険、電話、車、など全部で108種類以上もあります。

その全ての手続きを、専門家と連携しながらサポートしていますが、90種類もの相続に関わる手続の相談に乗るためには、様々な知識が必要となります。

私は、そうした基本の知識の一部を、大学の法学部で学びました。
大学を卒業してからは、何か法律に関わる仕事がしたいと思い、大阪の何代も続く司法書士事務所に就職しました。

その後、兵庫県の土地家屋調査士事務所で、事務所の代表補佐として責任ある仕事を行い、依頼者からの信頼を得られるよう努力いたしました。
こうした仕事を通じて、法律の大切さと素晴らしさを学びました。

就職してから何年か経ったある日、震災何周年かの報道番組を、何気なく見ていたとき、あのときのおばあちゃんからかけられた一言の記憶が、鮮明に蘇ってきました。

直接喜んでもらえ、生の声を聞く事が出来て、それが仕事になる。そんな仕事がやりたくなったのです。

しかし、当時の私に何が出来るでしょうか?
確かに、法律に関する手続など総合的にやってきましたから、知識はありました。
でも、そんな知識だけでは、食べていけません。何ヶ月も考えていた時のことです。

「親父が亡くなったので相続の相談にのってくれないだろうか」

台風がいよいよ本土に上陸しようというある雨風の強い日、友人からの一本の電話がはいりました。
話を聞くと、会社でお父様が小渕元首相と同じ脳こうそくで突然倒れ、お亡くなりになられたとのことでした。

お通夜と葬儀がやっと終わり、ご仏壇の前にお酒を供えて座っていると、親戚の方から、「葬儀後も、いろいろな相続の手続があるので、ゆっくりしている時間など無い」ということを聞かれたようでした。

冷静に考えてみると、葬儀が終わった後の手続についてなど考えたことが無く、何から手をつけていいかも分からず、頭の中がぐるぐると回りすごく不安になって電話してきたとの事でした。

次の日、友人の自宅に伺うと、テレビの横にはたくさんの書類が、今にも崩れ落ちそうなくらい山積みにされていました。

その書類を一つ一つ確認していくと、大変な間違いをしようとされていることが分かりました。払わなくてもいいお金を払おうとしたり、もらえるべきお金を請求せずにいようとしたりしていたのです。

そこで、約1年半かけて、相続に関する全ての手続きお手伝いさせていただきました。
最終日、出来上がった書類などをお渡しした後、仏壇にご焼香させていただいたとき、私の後ろに座っておられたお母様が、涙を流しながら一言おっしゃいました。

「お父さん良かったね。米田君が全部手続きをやってくれたから、無事終わったよ」

その一言を聞いたとき、私の背筋が、ぞくぞくっとしました。
あの、震災ボランティアをした時に、言ってもらった、おばあちゃんの「ほんまにありがとう!」という言葉が鮮明に蘇ってきたのです。

「自分がやりたかった仕事はこれだ!相続の手続ならやれる。相続の仕組みならある程度は知っている。複雑でたくさんある手続を一括して行うことが出来るサービスを作れば、喜んでくれる人は多いだろう。手続をスムーズに行って経済的な不利益や、心理的なストレス、そして争う相続を少しでも減らすことに役に立てばきっと大丈夫だろう。」

決めたら、もう止められません。翌日には、退職していました。

 しかし、家族をはじめ、周りの人たちには、猛反対されました。
「せっかく大学を出て、いい事務所に入って、何を血迷ったのか?」
反対されると予想はしていましたが、その時の私は、夢と希望、使命感で一杯だったのです。

私は当時、既に結婚しており、生活を支えていかなければならない立場にありながら退職したわけですから、周りの人が反対するのも当たり前です。

案の定、周りの心配どおり、勢いだけ良くても、現実は厳しいものでした。
お金も満足に準備していませんでしたから、格好いい事務所もありません。前職の先生の計らいで、机と電話を置かせてもらいましたが、車が必要でも、買うお金がありません。広告だって出せません。毎日毎日、知らないご家庭を、『相続で何かお困りのことがあれば、相談に乗ります。忘れやすい手続はこの手続ですので、この一覧表でチェックしてみてください・・・』とまわっていました。

正直いいまして、辛かったし、悔しかったです。百件まわっても相談はゼロという日が続いたこともあります。

事務所を辞めたのが12月だったので、お正月が明けて1月7日から訪問を開始しました。雪が降って誰も歩いていない道を歩き、寒さと淋しさが余計に身にこたえました。夕暮れになって暗くなると、なぜだか眼から涙が出そうになって、唇を噛みしめました。

自宅の近所を訪問するのが恥ずかしくて、家から少し離れた場所を選んで訪問し、寒さで足の先の感覚が無くなっても、自分が決めた事だからと、歯を食いしばりました。

しかし、訪問販売の経験も無い私が、何百件まわっても仕事なんて取れるはずもありません。あまりにかわいそうに見えたのか、お茶を出してくれるおばあちゃんもいました。温かかったし、嬉しかったです。

でも、かわいそうに思われたのが、何よりも悔しくて、ショックでした。

創業した頃から様々な相談に乗ってもらっていた弁護士や税理士の先生に、「ダメかもしれません・・・」と話をしたこともありました。
よく考えてみれば当たり前です。実績も無く、どこの誰だか分からない相手に、大切な相続の相談なんて出来るはずはありません。

当時は、知識はあっても相談に来てくれる人がいないわけですから、少しも人の役に立つことなんて出来ませんでした。

創業する前は、甘く考えていました。「まあ、丁寧な仕事をして、信頼が得られれば、依頼者もわかってくれるはずだ。」しかし、現実は想像を絶するほど厳しかったのです。

そして、周りの人達に助けられて、なんとか少しだけ相続の手続の相談が来るようになった頃のことです。

少し調子に乗るとバチが当たるのか、相談に来られた方からの依頼をお断りしたのです。法律を無視した無理な要求をしてこられた方でしたので、丁寧にお断りしたつもりでしたが、そのことが原因で悪いうわさを立てられ、様々な所からいろいろなことを聞かれました。

全てに対して誠実にお答えし、誠意を持って対応いたしましたので納得していただけました。

けれどもその事で、自分自身が潰れそうになりました。それ以上に、噴き上がる怒りと、やるせないような悲しさで頭が混乱し、どうしていいのか分からなくなるほどでした。

それから数ヶ月、なんだかボーっとしたままの仕事が続いた後、私は、もう限界だと思ったのです。

そんな私を見て、いろんな人が助けてくれました。励ましてくれました。本当に、心の底から頭の下がる想いでした。

こうして、だんだんと、依頼者が友人をご紹介してくださったり、ご遺族の方が相談に来られるようになり、仕事も軌道に乗っていきました。

これまで、22年間、「相続手続支援センター」を、全国に広め、「出来るだけ可能な限り、はやく正確にそして円満に手続を終わらせたい」そして、「絶対に失敗したくない」そんな思いを抱きつつ相続で困られているご家庭を、ひとつでも減らし、一人でも多くのご遺族の支えになりたいと考え、今日までひたすらに走ってきました。

紆余曲折がありましたが、この思いに賛同していただける相続手続支援センターを運営する仲間が全国42カ所になり、累計での相談件数も7万3000件を超えました。

そして、毎年130万件発生する相続で困る人を、世の中から一人でも無くすため、相続手続カウンセラーを1万人養成する目的で協会も設立しました。

これからも、4,900通を超える『相談者からのお手紙』を財産に、
この仕事に邁進していきたいと考えております。  

米田貴虎

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